トニーさんに代役で大阪へ向かって頂き、ホッとする間も無く腰の激痛との闘いが待っていました。
「微動だにできない」とはこのこと
ほんの僅かに体を動かそうとしただけで、腰から全身反り返る激痛が走るのです。僕は痛みにはわりと強い体質なんですが、人生で初めて経験するタイプの痛みで、激痛が走り腹筋と背筋が同時につるんです…
18歳の時、柔道で右膝前十字靭帯断裂の怪我をしてから約20年、久々に自分で自分を制御出来ない状態に陥ってしまいました。
幾度となく襲い来る激痛と対峙していたら、代役探しに協力頂いたツートン青木さんから電話がかかってきました。
「えーめー大丈夫か?」
「あっ…ツートンさん…これはかなりヤバイです…」
「ん〜、俺が今行ってもいいんだけど素人が動かすと余計悪くなるからさぁ、思い切って119番して救急車呼んだ方がいいぞ。」
「そうですね…呼んでみます…」
「その状態じゃ自宅にいるより病院の方が何かと安心だからな、救急車呼ぶのは嫌かもしれないけどさぁ、ちょっと頑張ってみな!」
トニーさんに続き、ツートンさんも僕の容体を心配して下さり、そのお気持ちに痛みながらもありがたいなぁ〜と感謝。そして…
市來良史として39年生きて人生初の自分による自分の為の119番通報をする事になりました。ちょっと緊張しながらピッ ポッ パッ
「東京消防庁です 火事ですか?救急ですか?」
「はい…救急です」
「どうされました?」
「腰が痛くてもう3時間以上全く動けません…」
「分かりました。では救急車をそちらに向かわせますので、ご住所とお名前と年齢お願いします。」
「市來良史、39歳 昭和52年6月20日生まれ 〇〇区〇〇〇丁目〇〇です…」
「はい、では暫くお待ち下さい」
うわぁ〜呼んじゃったよ、救急車呼んじゃったよ〜〜、ヤバイヤバイ、なんか恥ずかしい…
気がつけば、時計は夕方16時。倒れたのがお昼12時前だったのでかれこれ4時間も動けない状態でいたんだと気付きました。
ピーポーピーポーピーポーピーポー
ヤバイヤバイ来た、救急車来た…どうしよう…
ピーポーピーポーピーポー ピッ
救急車が到着し、アパートの階段を駆け上がる足音が聞こえ救急隊の方々が3名僕の部屋に入って来ました。シャワーを浴びて、Tシャツとトランクス姿のまま動けなくなったので、ちょと恥ずかしかったのですが、そんな事は言ってられません。体温、血圧、酸素量、瞳孔チェクなどされながらふとある疑問が頭をよぎりました。人ひとりやっと通れる狭くて急なうちのアパートの階段をどうやって降ろすのか?すると、そこは救急のエキスパート!
イスになる変形式担架が登場!痛みを堪えながらなんとか担架に座り、救急隊2名により急で狭い階段も無事に降ろされ救急車の中へと運ばれました。
ピーポーピーポーピーポーはい救急車通りますピーポーピーポー右に曲がりますピーポーピーポー…
救急車の寝台に仰向けになり車の天井についている医療器具をじぃ〜と見つめながら思いました
電話一本で直ぐに駆けつけてきて、急病人をこうして大切に病院へ運んで頂ける、この日本の救急医療体制とスタッフの方々にふつふつと感謝の気持ちが湧いてきました。
そして、急な階段を降ろされている時に、亡き父の事を思い出しました。6年前実家で父が下血し、僕が父を背負い家の階段を降ろし病院へ連れていったあの日…父が言った一言
「もう父さんは、家には帰って来られないような気がする…」
父はその通り家には帰れませんでした。
今回の人生初めての救急車での搬送劇は、そんな父の記憶も蘇ったり、何か僕の大きな転換期に対するメッセージのような気がします。僕はたかが腰痛で、暫く安静にすれば家に帰れる。しかし、この入院で何かしら自分が変わるのではないか、いや変わらなければならないと痛感しています。
暫くステージをお休みさせてもらい、自分自身のこれからをじっくり考えている最中です。ご心配下さっているファンのみなさん、必ず今以上に成長してステージに帰って参ります。もう暫くお待ち下さい。
英明
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