2012年10月06日
壊れかけのRadioと僕
確かに、トークはお笑い芸人さんっぽい感じがしますね…w
でもこの曲は僕に取って凄く思い入れのある曲なんです。
「壊れかけのRadio」は徳永さんファンの方にとっても大切な代表曲。
1990年7月7日(七夕)にリリース、当時13歳。中学1年の夏でした。
その年の夏休みは1ヶ月間アメリカにホームステイしていたんです。
当時CD発売の情報源はCDショップのポスターしか知らずに、アメリカに
持っていったウォークマンのカセットには前回リリースのシングルの
「夢を信じて・ラバーズ」だけwしか入れられず(アルバムは超高価な代物
だったので貧乏中学生の僕には買えなかった)なわけで…リリース前に
ラジオでちょこっとだけ聞いた「壊れ〜かけの〜レディオ〜♪」部分のフレーズ
しか知らず、アメリカにいた1ヶ月間、延々と
「壊れ〜かけの〜レディオ〜♪」どんな曲なんだろう…
とそのフレーズだけをワシントンの街で口ずさんでいました。
時には自分で、勝手にメロディをつなげていましたw
「夢を〜しんじ〜て〜壊れ〜かけの〜レディオ〜♪」w
「果てしない〜おおぞ〜らに〜壊れ〜かけの〜レディオ〜♪」などw
帰国してそのままCDショップへ行き8㎝シングルを1ヶ月遅れで購入。
聞きたくて、聞きたくて、聞きたくて…でもアメリカだからどうしようもなくて、
死ぬ程聞きたかった曲が壊れかけのRadioだったのです。
聞くや否や、どうしてこんなに心に響くんだろう…とぶわ〜〜〜と涙が溢れ出し、
「徳永英明さんって凄い!」と自分の中の永久不滅のアーティストになりました。
帰国したその秋ちょうど今頃、アルバム ジャスティスがリリースされました。(1990年10月9日)
アメリカで使わなかった小遣いで、ジャスティスを購入!生まれて初めて買った
アルバムでした。ドロを塗りたくった徳永さんのジャケットを見て「え?は?む?」
なんかすげ〜!と感じながらも、中の写真を見たら、外人さんたちと写っている
ショットを見て、「徳さんもアメリカにいたんじゃん!」と、何故か自分で納得w
壊れかけのRadio
この曲を聴くと、22年前のアメリカの街並みが頭の中に蘇ってきます。
きっとみなさんにも、その曲にまつわるエピソードがありますよね!
2012年10月02日
2012年10月02日
2012年09月24日
2012年09月10日
最後の言い訳
この曲がリリースされた88年 僕が徳永さんの存在を知る少し前。
小学4年生の僕はこの曲の意味すら分らない頃。
一番大事なものは、ビックリマンのシール
一番大事なものは、ガンダムのプラモデル
一番大事なものは、ゲームウォッチ
そんな時代でした。
時を経て、この曲の良さが身にしみる年齢ですが
この動画は2011年の11月のものですが、僕にとって
一番大切な存在であった父親が他界して僅か1ヶ月
まだ心が何も落ち着かない状態ながらも、ステージに立ち
父に対する想いが込み上げて、涙をこらえながら唄っていました。
小学4年生の僕はこの曲の意味すら分らない頃。
一番大事なものは、ビックリマンのシール
一番大事なものは、ガンダムのプラモデル
一番大事なものは、ゲームウォッチ
そんな時代でした。
時を経て、この曲の良さが身にしみる年齢ですが
この動画は2011年の11月のものですが、僕にとって
一番大切な存在であった父親が他界して僅か1ヶ月
まだ心が何も落ち着かない状態ながらも、ステージに立ち
父に対する想いが込み上げて、涙をこらえながら唄っていました。
2012年09月10日
もう一度あの日のように
この曲を聞くと高校1年時代を思い出します。
軽い病気で入院していたとき、徳永さんの新曲が発売され
当時CDウォークマンなど持っておらず、確か音楽雑誌付録に
この曲の譜面が掲載されていて、「どんな曲なんだろう・・・」
と、読めない♪を辿りながら僕なりの「もう一度あの日のように」
という曲(鼻歌)が完成。入院中その鼻歌を唄い続け、2週間後
退院してそのままCDショップへ向いシングルを購入!
さあ「鼻歌通りか!?」と期待するも、僕の鼻歌想像を遥かに越えた
すばらしい曲に涙した記憶を 今でも鮮明に思い出します!
みなさん一人一人にも、その曲に纏わる それぞれのエピソードがありますよね。
音楽って、写真の様でもあるし、動画でもあるし、なんだか不思議な生き物ですよね!
軽い病気で入院していたとき、徳永さんの新曲が発売され
当時CDウォークマンなど持っておらず、確か音楽雑誌付録に
この曲の譜面が掲載されていて、「どんな曲なんだろう・・・」
と、読めない♪を辿りながら僕なりの「もう一度あの日のように」
という曲(鼻歌)が完成。入院中その鼻歌を唄い続け、2週間後
退院してそのままCDショップへ向いシングルを購入!
さあ「鼻歌通りか!?」と期待するも、僕の鼻歌想像を遥かに越えた
すばらしい曲に涙した記憶を 今でも鮮明に思い出します!
みなさん一人一人にも、その曲に纏わる それぞれのエピソードがありますよね。
音楽って、写真の様でもあるし、動画でもあるし、なんだか不思議な生き物ですよね!
2012年09月09日
僕のそばに
17歳の時でした。ドラマの主題歌にもなったこの曲。
なんて切ない歌詞 心のど真ん中まで届くメロディー
高校の文化祭のカラオケ大会でも唄ったこの曲
でも当時は全く唄えなかった。
徳永さんのように唄いたい・・・
その一心で、大人になってもずっと唄ってきました。
ただ唄うだけでなく、その曲のもつポテンシャルを
フルに出すことが大切だとも気付きました。
徳永さんが、ボーカリストシリーズを唄う感覚と
同じ気持ちで僕は唄っています。
なんて切ない歌詞 心のど真ん中まで届くメロディー
高校の文化祭のカラオケ大会でも唄ったこの曲
でも当時は全く唄えなかった。
徳永さんのように唄いたい・・・
その一心で、大人になってもずっと唄ってきました。
ただ唄うだけでなく、その曲のもつポテンシャルを
フルに出すことが大切だとも気付きました。
徳永さんが、ボーカリストシリーズを唄う感覚と
同じ気持ちで僕は唄っています。
2012年09月09日
Revolution
徳永さんを初めて知ったのは、小学5年生の頃。
文化放送で「フロムCサイド」というラジオ番組でした。
ラジオから聞こえてくる、徳永さんの特徴あるあの声
に興味を抱き、それ以来、自分の人生のBGMは
徳永さんの楽曲と共に歩んできました。
初めて行ったコンサートは、中学3年時のRevolutionツアー
僕にとってRevolutionという曲はまさに「革命」でした。
この動画は昨年秋のイベント出演時のものです。
文化放送で「フロムCサイド」というラジオ番組でした。
ラジオから聞こえてくる、徳永さんの特徴あるあの声
に興味を抱き、それ以来、自分の人生のBGMは
徳永さんの楽曲と共に歩んできました。
初めて行ったコンサートは、中学3年時のRevolutionツアー
僕にとってRevolutionという曲はまさに「革命」でした。
この動画は昨年秋のイベント出演時のものです。
2012年09月07日
はじめまして!

みなさまはじめまして!鹿児島を拠点に音楽活動をしている「英明:えいめい」といいます。
何故えいめいなのか?それは、小学生の頃から徳永英明が大好きで、20年以上も彼の楽曲を研究し、唄い続けてきまして、ステージネーム(芸名)が「英明」なんです。
鹿児島では2009年頃から活動を始め、地元のお祭り、ライブイベント等で唄っております。これから、このチェストにて、日々の出来事を書いていきます。よろしくお願い致します。